角田忠行遺愛刀
文久三年、足利三代木像梟首事件の首謀者の一人、角田忠行が梟首事件の際に使用した刀です。
大正二年に自ら由来を記し竹山肇に贈ったものです。
博物館旧蔵品。2000年夏、刀剣雑誌に掲載。
切先部 | |
刀身部 | |
姿 | |
昭和三年に記された角田翁佩刀記 熱田神宮宮司正五位野田菅麿筆 |
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月刊刀和に掲載(福永酔剣師著) |
松平忠輝書状
元和元年九月 、徳川家康六男松平忠輝が村上周防守義明に宛てた書状です。
昭和48年「初代高田城主松平忠輝展」展示品。
上越市立総合博物館旧展示品。
昭和48年松平忠輝公展 展示品目録 |
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徳川家康六男 松平忠輝村上周防守義明宛書状(右上) | |
現品(開設者現蔵) | |
訳文、説明 福永酔剣先生筆 |
蒲生氏郷遺愛刀
大擦り上げ切付銘 表銘 従大君蒲生飛騨守氏郷朝臣拝領 蒲生源左エ門佩刀 裏銘 元在銘者備州長船住元重 裏ニ一二神ト有 関兼元火ヲ不入上ル之 甲割最上之大業物也 長さ 二尺三寸九分
本阿彌日洲先生極め 時代建武の頃 珍品也
地鉄杢目肌うねるように流れ綾杉状を呈す。鍛着面に一点の緩みなく極細かな地沸がつき冴える。刃紋互の目に丁子風を交え均一の幅の匂いが小沸を包み黒味を帯びない上品で細かい金筋、砂流しがしきりにかかる最上の出来。帽子指し表清光のような一枚帽子で裏小丸。地刃共に秀逸な出来。備前長船の作風としては異風の出来映えであるが地鉄の特徴、相州伝全盛期の鎌倉末期から南北朝にかけての作であることを加味すれば異風珍品の作として認められる。現在の機関でどのような鑑定がくだされるかは不明だが本阿彌日洲先生も珍品として秘蔵していた名品。ともあれ地刃共に冴え資料的価値とあいまって得難き名刀である。
付記(刀剣鑑定読本より抜粋) 南北朝時代の備前刀は、時代の影響を受けて形状が変化することはもちろんであるが、相伝備前などに象徴されるように、前代とは異なる作風が目立つ。地鉄は軟らかい感じで地映りがあり、大杢目肌に鯰の肌模様のような地鉄が交じる。焼き幅の広いものには、映りは少ない。匂い口は軟らかみを持ち、沸づくものもある。 これらの点を踏まえての日洲先生の珍品極めなのでしょうか。まさしくこの刀のような作風です。(下線部) 備前=小杢に映りのみの鑑定に走りがちな僕にとっても勉強になる刀です。このような湾れ調互の目丁子を元重に限って追いかけ刃というそうです。
写真では分からないですが、見事な焼刃です! |
譲渡済 |
出来は非常に良い、二代近江忠広代作の可能性ありという事です。忠吉は受領銘の忠広時代には、かなりが門人の代作代銘で出来の良いものには自分の銘を切る事を許したそうで、銘きり師の存在も確認されているそうです。(肥前刀大観にも同様の記述あり) 最上作とは言えないが上作のてっぺんにある出来映えで刃にもう少し働きがあれば最上作でも良いそうで(とは言え刃中の匂い、刃縁の沸、小足、葉、喰い違い、は見事)地鉄においては一点の破綻も無い傑作との事です。譲渡済 |
勝海舟ならびに松平容保自筆短冊
勝海舟 「うき事のたゆるときなき世の中は 人や追いゆくとしや老たる 安房」 松平容保 「名所雪 墨田川はるみし花の面かげも すずろにうかぶ雪の頃かな 容保」 |
刀剣弁疑 文化三年 水心子正秀著
今ならまだ入手出来る筈!安価なのでお薦め。 |
天正12年 小牧長久手の戦いにおいて森長可が討ち死にの際着用の兜。 刀剣春秋 刀と鎧と歴史と 有事断然一息栽断の美 井伊家の甲冑と創業軍史 他図録 所載品 2000年大阪城秋期特別展出品 |
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同箱書き | |
大阪城特別展図録部と産経新聞紹介部 なお、MBSラジオでも紹介されました。 |