平成11年2月8日 刀剣研究連合会例会 講師 得能一男先生
 太刀銘 瑞泉堀井俊謹鍛(花押) (裏)昭和十一丙子二月吉日 長寸で腰反り、豪壮な太刀一見新々刀の一流どころに見える出来。私も大慶直胤と入札。他の方も水心子正秀など、いずれも現代刀には見えず。これほど自然な美しさを持った現代刀は初めて見ました。
 脇差銘 波平安好  鉄色が青白く冴える薩摩にしては々の地肌。父の六十代安行に比べて荒沸や芋の蔓が立たず最初、大坂か肥前に思うほど上品でした。薩摩でも本当に良いものはこう言った出来であると言うことでした。
 脇差銘 越中守正俊 先幅と元幅の差が少なく中切先伸びて反り中間反りに先反りが加わって重ね厚めで手持ちの重い慶長新刀姿かなり技巧的な華やかさであったが古刀期の作刀技術故か星霜を経てきた為か厭味には感じませんでした。
 短刀銘 参河守大道陳直作 平造り丸棟、身幅広めで重ね薄く僅かに先反りが付いているが粗見すると南北朝の作に紛れかねない室町最末期の短刀姿。差し裏刃文に添って澄肌のように黒くなった映りがあり、貞宗、信国のような相州風の強い彫りで上手に彫ってあり、かなり出来の良い短刀でした。勿論入札外しました。勉強不足。
 短刀銘 (菊紋)近江守源久道 嫡子源金四郎 (裏)貞亨二二(四)年二月吉日 洛陽於愛宕郡造之 (棟)重暢所持之 重ね厚い鎧通し、刃文も箱刃風に冴えて地鉄も綺麗がどうしても鎧通し体配が好きになれない。この所持銘の人物をご存知の方はいませんか?
平成11年2月1日 刀えん社例会 講師 中原信夫先生
短刀銘 備前長船兼光 (裏)延文二二(四)年五月日 島津家伝来重刀 地鉄が美しい非常に小振りな短刀。大兼光もよいが愛玩するのにはもってこいの大きさ。多分現存最小の兼光ということでした。良い物を見れました。
銘 陸奥守大道 (裏)天正二十年二月吉日 常の美濃物のように肌が荒れ気味にならず非常に詰んだ杢目。沈みごころの兼房丁子でひやっと感じる程物斬れしそうな魅力のある刀でした。こう云うのが好みです。笑。
銘 備前長船右京亮勝光左京進宗光 (裏)大永三年八月日 皆焼で寸詰まりのこの両工合作によくある姿。皆焼も末備前の腰が開いた乱。確かに地鉄も良く刃も良く働いているが全然魅力を感じなかった。何故でしょう?
銘 備前長船彦左衛門尉祐定 (裏)天正六年八月吉日 與三左衛門尉に次ぐ末備前の上手と言われていて実際出来も良く欠点も何もないんですが、なんとなく見慣れたものを見た感覚でした。初心わするるべからず!
銘 三条布施藤原吉則於越前作 (裏)小布施四郎左衛門尉源久慶重代不渡他手 重刀 戦国武将と名刀所載 本当に地鉄が美しく映り気がある。他人に渡すべからずと言いたくなるのも頷けるほど綺麗な地鉄。彫りも上手。色々な書籍に掲載されている有名刀ですね。
平成11年9月9日 刀剣研究連合会 例会 講師 得能一男先生
短刀銘 康春 山内家伝来 小杢が細かく詰んで地景がからんで潤いのある綺麗な地鉄だが所々に澄み肌のような黒い心鉄が出ている。これを個性と採るかで評価の分かれる所。千子や平安城長吉のような箱刃。佳品。
短刀銘 吉光 伊達家伝来 秋十六号 伊達家伝来品はランク付けを春夏秋冬でしているが、短刀の名手藤四郎吉光に秋とはいささか評価が低いようだが疲れから姿は崩れて肌も荒れ気味なのでこの評価も可。かろうじて棟のあたりに粟田口地鉄が残っていました。標本としては貴重でしょうね。なんと言っても鎌倉時代から生き残ってきたんですから。
脇差銘 九州同田貫藤原正国 見ただけで恐ろしくなるような長巻き直し。地鉄も常の同田貫にくらべ上品。しかし清正公御用達の同田貫、匂い口は沈んで刃中は明るい斬れ味のほどが知れる。怖いですね、こういう刀、所持すればなにか斬りたく、、、所持者の方は日本一の同田貫と言っているようです。ある意味そう思います。
銘 貞行 豊後高田には到底見えず。小板目良く詰んで細微な地沸がついて鮮明な焼きだし映りが立つ見事な地鉄。刀姿も力強く、平高田の傑作で、この刀を見て位列崇拝は改めて危険と感じた。確かに位列は非常によく選定されているが上位の並刀より下位の傑作の方がより満足感を得られ且つ値段と品物のバランスがとれていると思います。
銘 肥前国住人忠吉作 元和・寛永のバランスのとれた刀姿。掟どおりの小糠肌に直刃。出来良し。彫りも上手。うーん、、、良く斬れるらしいですね。うーん、、、平均点も高いですね、この工は、、、それだけ。。。  
平成11年10月24日 個人宅
豹尻糸巻太刀拵 特重刀装 松平直政佩用 歴史の重みと佩用者の品格を感じずにはいられない名拵。あの真田幸村に扇を投げさせたと言う逸話の残っている若武者直政の大坂冬の陣、出陣時の拵。戦場の轟きが耳に響くよう。内容云々口述できぬ一品。見事!
太刀銘 友成 (金象嵌)直政用之 上記拵の刀身。千年以上の星霜を経た霊刀で流石に、いやこの際関係なし。乱れ映りの鮮やかな品格のある刀姿。千年前の刀工の紺碧の叫びが聞こえてきそうになる霊刀。神州日ノ本の奇跡。


ほんと写真下手です・・・
太刀銘 備前國助包 重刀 末古備前掟どうりの名作。この技巧の無い技巧とでもいうべきか、すべてが自然で雅味に溢れる。千年近く経って変形した細身の中心に古雅の極致ともいえる芸術性を感じる。こういう刀を拝見すると近代の刀は同じ刀であって全く別物と感じてしまう。
銘 兼元 初代孫六作。青木兼元と並肩する傑作。この刀といい、孫六の傑作は平地は非常に詰んで刃縁に肌目の明瞭な杢流れが出ているようです。もう少しなんとかなればこれを買いたいです。


ピンぼけ1
短刀銘 兼元 これも初代孫六です。孫六の短刀は兼定に比して少なく、恐らく正真は五振りぐらいでしょう。上記の兼元と大小で所持できればもうあとはなにも要らない。名品。


ピンぼけ2
平成11年11月11日 
刀銘 一貫斎正行 (裏)十九歳造之 天保三年八月 清麿の最初期の刀。小板目詰んで綺麗な肌で隆々とした感じが伝わってく
るような力強い地鉄。刃は粗見すれば、中河内に見えるような焼きだしと拳形丁子だが、丁子の頭の大きさが、小振りの菊花丁子
になる浜部特有の出来で後の清麿の激しさは感じられないが、一九歳の作刀ですでに師を超えているのはやはり、天才刀工風
評にたがわぬ出来。兄との合作(文政一三年)につづく若打ちか。海津城打ち。
脇差銘 忠光 一見して末備前に見える太刀添え。地鉄小板目杢まじり詰む。焼きだし映りから白気映りが広がっていく。刃中明
るい。うーごめんなさい!それだけ!別に備前物が嫌いなわけじゃないんですよ。
短刀銘 備州三原住正近作 (裏)天文元年八月日 上品な短刀姿で小板目杢まじり一部柾、細かい地沸つき地景からんで潤い
がある。小互の目乱でぼぅっと頭が地に煙こむ。すごく美しい肌で出来がよい。三原のできのよいのは、皆このような
綺麗な地鉄ですね。帽子は末物特有の滝落とし。
短刀銘 綱家作 小板目詰み地沸よくついて地景からむ。慶長新刀のごとき綺麗な地鉄で若く見える。刃文互の目乱。どちらかと
言うと匂い出来で、相州伝と言えば沸の美ですが沸が足りず本当の相州伝は鎌倉時代で終わったと言う意見にも首肯できる。しかしながら地鉄は秀逸で彫りも上手。
佳品。
短刀銘 備州之住長船拾郎左衛門尉藤原春光作之 (裏)元亀三年壬申二月吉日 備前地鉄で青く冴え、直刃ぴんっと張って締まり帽子深く清光のよう。おそらく清光作の春光銘と思われます。備前はこのような例がたくさんあると思われます。今回は備前物を多く拝見しましたが、総体に柔らかそうな鉄ですね、やはり。
平成11年11月14日
刀銘 伯耆守藤原信高 篠の露 柳生連也斎佩刀。小杢目肌詰んで一部柾に流れる。刃文は中直刃。やはり実用本位の刀で斬れ味の優れる刀と言うのは大体において柾流れが見られる。刃も掟どうりに中直刃。手持ちも良く剣術家の面目躍如と言った所か。
刀銘 和泉守兼定 (裏)永正元年八月日 武田信晴佩刀 説明不要ですよね。最上大業物。板目肌に柾流れ。刃文互の目乱。いかにも物斬れしそうな宝刀。一般に言わせると品はないが、戦国の世の武器に品は不要。私見で言うと武器は斬れてこそ。物斬れしそうな刀こそ品があるといいたい。
刀銘 安綱 黒田家伝来伊藤博文愛刀 地鉄うるわしく柔らかく練れなんとも言えぬ落ち着いた肌。天然味溢れる刃部の働き、区はほんの少し送ってあるが中心ほとんど生ぶ。千年の星霜を経て現代にいささかの衰えも感じさせない光を放つ我国の宝刀。
無銘刀 角田忠行佩刀。足利三代木像事件の使用刀。伝兼光になっていますが、新刀。赤貧志士に限らず武家社会において銘の真偽は二の次の問題でしょう。維新の暴れん坊も後、熱田神宮の大宮司になり現在の同社再繁栄の礎を築く。闘いの跡を今なお刀身にとどめるロマン溢れる刀。
無銘脇差 金象嵌 寛文二年十月三日山野勘十郎久英(花押)弐ツ胴切落
脇差折り返し銘 兼定 之定の脇差で地鉄慶長新刀のごとく綺麗な肌。刃文互の目乱飛び焼き激しく入り皆焼状になる。いかなる人物の腰にあったのか、想い尽きない激しい脇差。
後述 今回は歴史上人物ゆかりの刀を拝見しましたが、やはりロマンがあって良いものですね。完全無比の刀剣は勿論良いですが、こう言った伝来刀も本当の意味で数が限られていて貴重ですね。たとえもしそれが偽銘であっても。


不謹慎ながらにやけてしまいました。

平成11年11月21日
短刀銘 兼元 古白鞘には明治期の本阿弥長識による鞘書きに孫六兼元とあるが山内家伝来のまこ六銘の同人作と思われる。地鉄美しく地景がはいり棟寄り見事に柾流れる。刃文は匂い口しまる表裏の揃った箱刃で上身の出来だけを見れば村正に見える。
平成11年11月22日
短刀銘 備州長船法光 (裏)明應九年八月日 地鉄小杢目微塵に詰んで潤い刃文互の目丁子に金筋、砂流しさかんにかかる。諸刃造り。この姿の短刀はほとんどが室町末期に多いんですが、中期頃との相違は寸詰まり身幅の割に重ねが厚いことです。あと末物ほど刃縁が締まらないことですね。名短刀だと思います。
短刀銘 兼貞 (天文拾八年八月吉日) 一見して鎌倉時代の来物に見える出来。新藤五国光にもこのような出来の物がありますがなんと蜂屋関。地鉄は杢に柾流れる。非常によい鉄です。刃文細直刃。以前、日刀保の本部研修会で関物ばかりが並べられた際に之定、まこ六、兼常をしのいで一番光っていたそうです。首肯。
脇差銘 和泉守藤原国貞 京焼きだしに始まってだんだんと焼き幅広くなっていき沸やや業に付き地鉄一部大肌混じる、親国の標本のような脇差。匂い口冴えて非常に明るい。京焼きだしで大坂新刀出来は親国か親国助ですよね。
刀銘 正真 もう実戦で使ってもらえばそれでいいと言うような金房の刀。刃中の沸くずれ(葉)がさかん。ここで鑑定豆知識、刃中に沸くずれがあればまず末備前、鉄が違えば平高田それでも違えば大和金房。本阿弥家の裏筋鑑定。
無銘刀 伝青江 重刀 鎌倉末期から吉野朝にかけての大磨りあげ無銘。地鉄もいいが刃文が秀逸。なんともいえない柔らかくポワーっと小沸が匂いに包まれている。 某有名芸能人所持刀。
平成11年12月18日
刀銘 長曾祢興里入道虎徹 重要刀剣 完璧に練り鍛えられた地鉄に働き豊富な焼き刃本当に美しい出来でした。唯時代的に仕方の無いことですが、突っ立った体配が少し残念。実見した中で二番目によい虎徹でした。
今回は20振り程ゆっくり拝見できましたが、虎徹の印象が強くて余り他の物が印象に残っていません。ただ行光短刀、加州家忠等はよかったです。資料的には刀を長巻きに直した物があって初見で驚きました。
平成12年1月5日、6日 東北旧家
太刀銘 近景 地鉄小板目肌詰んで、杢まじり地景浮き上がる肌物の佳品。特に差し表の映りが見事。長寸の備前物の太刀は長寸の美濃物と同様にめっきり出物が減ってきています。新刀、新新刀がこなれてきた割に古刀は常に上昇気味です。
刀銘 山城大掾藤原国包 最初に鑑定させられた際、大和物と思ったけれど土地柄で国包と答える。づるい鑑定でした。いつも入札鑑定偏重を叱られていますがやはり僕のレベルではわくわく楽しいです。でも鑑定会では当てるより地鉄や刃をじっくり見るようにしています。この刀は柾目に沸が絡んで覇気というか、刀匠が怒りながら造ったような感じがしました。なお初代国包は初見でした。
刀銘 兼守 当家のご先祖が関ヶ原で手柄を立てた陣刀で古文書にも記載してある貴重な刀。古研ぎではっきりは解りませんが板目やや肌立って互の目丁子の様です。帽子は半分程ぬけて打ち込み疵が三箇所もある壮絶な刀で、近く発表されるそうです。皆さん刃切れや帽子の抜けている刀をバカにしないでくださいね。刀が刀らしく使われた証拠なんですよ。武将は陣刀とステータス刀を凛然と分けていました。細川幽斎の信長、井伊直孝の三原物、森長可の兼吉、前田利家の美濃物(丈木)等は位列では二流工で出来も特筆するような物ではありません。普段あまり触れる事の無かった宝刀に比べ、武将が命を託し戦場を往来した陣刀の方がより歴史のロマンを感じる事ができます。しっかりした資料の裏付けのある刀があればどんなに欠点があっても美術刀剣屋の倍額で引き取ります。笑。
太刀銘 真利 杢目肌目立ち見事な丁子が焼かれていて乱れ映りが鮮明に立つ。鎌倉とは思えない程健全。遠い昔の刀匠に本当に頭がさがります。科学の発達した現代より明らかに優れているのは技術より材料でしょうね。
今回十数振りを拝見しましたが、多数が審査に出せば重刀に指定されるような物でした。大戦をのりこえ、かつ放出せずに守り通してこられた事に敬意を表します。
平成12年1月31日
短刀銘 備州長船清光 大永五年八月日 元重ねと先重ね差が顕著な末古刀姿。砂流しがさかんにかかり派手な刃紋。地鉄一部大肌混じり乍、映りは元から見事に立つ。
脇差銘 波平安氏 安氏の傑作刀。最近よく経眼する薩摩の上出来物で大坂新刀の如く焼き刃が綺麗。沸粒が刃先に向かって順次細かくなるのでボーッとし、目が悪くなったようにピントが合わない。これを僕は、近眼刃と心の中で呼んでいます。笑 芋蔓は一切表れない。
刀銘 板倉言之進照包 延宝九年二月日 寡作言之進の傑作刀。地刃、沸、刃中の働き見事で所持すれば誰も手放さないと噂されるだけの事はある刀匠。裏人気第1位!
刀銘 備州長船重末 応永十一年十月日 重要刀剣 地鉄は尋常な出来だが、柔らか味のある匂い口とこの刀の見所である乱れ映りがまさに天然芸術の極み!こんなに見事な映りは大般若に勝る!
太刀銘 長光(現在判別不可) 重要刀剣 深い訳あってか銘が消されているが、登録証には、銘長光とある。大きく派手に乱れているが、一点の破綻も無く、匂いの幅が均一で正に名人芸。元から凛然と映りが立つ。地鉄も詰んで美しい。欠点は疵隠しの為か、後彫りの彫刻。古の匠技に頭が下がる名刀。
平成12年2月10日 得能一男先生
刀銘 伯耆守平朝臣正幸 寛政十一年未八月 地鉄板目に杢まじり詰み地沸よくつき地景しずむ薩摩肌になるが沸粗くならずに冴える。刃匂い深く綺麗に小沸がつき長い金筋がはばき元に現れる。常の薩摩刀の如く沸がこごらず荒沸もなく美しい出来でした。
脇差銘 (桐紋)一肥州出羽守行広以真鍛作 多分日本一派出な肥前刀でしょう。刃紋鑑定のみでは、一見、中河内等大坂新刀の如く絵画的な刃紋。しかし精査すると大坂肌ではなく肥前肌で帽子も完全なる肥前帽子。
脇差銘 肥前国住藤原忠広 異風の帽子の武蔵大椽献上銘。ほとんど一枚帽子になる。その他は純然たる肥前刀。出来がよいとの事でしたが、現在僕が所持している忠広に比べれば比ぶべきもありません!(本当)笑。
脇差銘 左行秀さく 細川備前伝より相州伝への移行期とおもわれる嘉永期以降の作。地鉄柾流れが現れ地景底に沈んで美しいが刃紋は働きに乏しく匂いもそれ程冴えず相州伝の試行錯誤を伺わせる。裏銘を消した跡がある。
脇差 生ぶ無銘 上蓋葵紋透かし金無垢二重はばきのついた相州伝小脇差。研ぎの関係上で弱冠肌立っているが、刃紋の働きは見事!飛び焼きがまだ現れない、広光二字銘時代の作。

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