井上真改墓所
生駒山中腹の重願寺にあります。山門から映画のスクリーンのように広がる夜景が本当に美しく感動します。
大坂新刀の雄、井上真改は泥酔して井戸にはまって溺死したということですが今は本当に良い場所で眠っています。
昭和13年時の墓所 手前の菊紋の石碑の風化がそれほど進んでいない。 重願寺から不動寺に移建前の時。 昭和38年重願寺から不動寺に移建。 |
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平成11年10月31日現在の墓所 菊紋の石碑の風化がかなり進んでいる。 不動寺から重願寺に再移建。 |
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菊紋 延宝六年二月日 |
左行秀墓所
大阪市天王寺区齢延寺。
幕末の名工、左行秀の晩年は決して恵まれたものではなかったようです。
藩工としての禄は廃藩置県で失い刀剣需要の喪失により注文も途絶え、新生活の場を大阪に求めました。
昭和11年、それまで不明であった行秀終焉の地が、偶然参詣した愛刀家によって発見された。
左行秀墓所全景及び碑文。 右より、明治廿年三月五日 行年七五歳 土州 豊永東虎左行秀 豊永猪七郎源末秀墓 藩中 豊永東虎妻寿満 |
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碑の右側に和歌が刻まれています。 「梓弓 引きとめかねていまさらに もと末わかぬ身とはなりにき」 行秀が次男、末秀の早世を悼んで詠む。 |
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左行秀肖像及び銘。 |
当麻鍛冶の故地
当麻寺の山門をくだり道なりに進むと杉林が見える。ここが当麻鍛冶の屋敷跡と言われる場所で
幕末の頃には古井戸が残っていたそうですが現在探索しても形跡はありませんでした。
右側の杉林が当麻鍛冶屋敷跡 | |
当麻寺山門 | |
当麻寺 |
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参考文献 福永酔剣著 刀工遺跡めぐり